HOME >> 日本における浮気の歴史
古代日本は、一夫多妻制であり、招婿婚という社会制度をとっていたために、
夫が妻(正室)の家にいないこともあり、夫が他の女性の家へと行っている
時は、その家に別の男性が来ることも普通にあったようです。
また、逆に男性が恋人の女性の家へ行っても、他の男性が先に来ていたという
こともありました。
この場面を歌ったと思われる歌が『古今和歌集』にも多く残されています。
しかし、男性がそのことに対して怒ったり、周囲に触れ回るというようなこと
は滅多になかったようです。
今も昔も、そんなことをしては男性の面子が汚され、立場をなくしてしまうと
いうプライドが先に立つのでしょう。
一夫多妻制でありながら、女性も割と自由に男性と付き合っていた様子もある
のが、古代日本の男女関係の特徴です。
平安時代の恋愛は、通い婚でした。男性が気に入った女性の元へ行って、
アプローチを続け、女性が認めれば晴れて結婚、その時に始めて顔を
合わせるというのが普通だったのです。
当時、男性は多くの女性の元へ通うのがいわば常識であって、一人の女性
しか愛さない男性は、「一人の女性しか愛せない男」=真面目でつまらない
男性として軽く見られました。
浮気をする男性が一般的であったのです。逆に、そうでもして多くの女性に
近付かなければ、結婚するのが難しかったことも背景にあります。
しかし一方で、人の妻になった女性を奪うことは大変非常識な行為として、
世間からの非難を浴びました。
現代よりも自由な恋愛を楽しんでいた平安時代の男女ですが、横取りという
不道徳にはとても厳しかったようです。
江戸時代以前までは、配偶者以外との性交渉がごく当たり前に行われていました。
今から考えると変わった時代に見えますが、それが普通の世の中では誰も疑問を
感じなかったのです。
近代に入ってからも、戦前までは、農村など一部ではこの風潮が残っていました。
女性が体を許すことが無恥だと考えられるようになったのは、刑法で1880年に姦通罪
が制定されてからのようです。
近代では、男性の浮気に限っては容認する時流が長くありました。
当時は、男性が浮気をしても責められる対象となることはあまりありませんでしたが、
女性が浮気をするのは容認されず、1947年に日本国憲法が施行されるまでは姦通罪と
して罪に問われました。
日本国憲法は男女平等を謳っていたために、結婚している女性のみに適用する姦通罪
が廃止されることになりました。
当時、結婚している男性にも適用するという意見もありましたが、廃止になったのです。
もし、姦通罪が廃止されず、現代の法律で結婚した男女の不貞を禁じていれば、浮気で
悩む人はずっと少なかったでしょう。
近年になり、男性の浮気のみが容認されることは少なくなって
きました。
また、恋愛感情と結婚を一体のものと考えるロマンチック・ラブ
の思想が主流となることで、結婚は恋愛の延長線上にあるという
意識が強まり、浮気が罪であると考える人が増えました。
しかし、実状としては浮気をする男女は決して少なくなく、社会的
には非難される行為であるにも関わらず、影で楽しんでいる人が
多数いるという状態になってしまっています。
現在の日本における恋愛形態は、決して理想的なかたちではない
でしょう。