HOME >> 浮気がテーマの作品
源氏物語は平安時代中期に成立した、日本の長編物語で、作者は紫式部であると
言われています。
絶世の美男子である主人公の光源氏(通称)が、数多くの女性と関係をもつのが
特徴で、簡単に言ってしまうと、彼は相当な浮気者でした。
帝の子供でありながら、臣籍降下して源氏姓となった光源氏は、父である帝の妻、
藤壺女御(ふじつぼのにょうご)を妊娠させます。
藤壺女御は、光源氏を産んだのち間もなく周囲からの妬みなどが原因で病死した
実母の桐壺更衣(きりつぼのこうい)にそっくりでした。
また、10歳の少女であった紫の上を連れ去り、自分の理想の女性に養育するのです
が、紫の上もまた、藤壺女御に瓜二つでした。
母を幼くして失くした光源氏が、受けることの出来なかった母の愛情を求めていた
のでしょう。
更に、光源氏は老若男女問わずに、様々な人々と関係をもっていきます。
人妻であろうが、同性であろうがお構いなしで、その度に人の心を乱したり、傷を
つけたりしながら、自由気ままに暮らしていきます。
しかし、時には自分が浮気されたり、妻に先立たれたりと、光源氏本人も、決して
楽しいだけの人生ではありませんでした。
それどころか、立派な地位に立ち、愛人を集めた六条院を作り、女遊びを繰り返した
光源氏ですが、その内面は虚しい一生でした。
光源氏の最期は、出家し行った山で、一人寂しく死を迎えています。
きっと、光源氏も一人の人をずっと愛し続けることが出来たならば、本当の意味で
楽しい人生が送れたことでしょう。
『トリスタンとイゾルデ』は『トリスタン物語』とも言われ、宮廷詩人たちが
語り伝えた恋愛物語です。
ケルトの説話を起源とし、12世紀の中世フランスで物語としてまとめられました。
アイルランドの王女イゾルデは、自分の婚約者を討ったトリスタンを、愛して
いましたが、コーンウォールのマルケ王に嫁ぐことになります。
マルケ王の元へ向かう船上で、結婚したくない思いと、憎むべき人を愛して
しまった自分を恨み、死の薬を用意するように命じました。
それを飲んだトリスタンとイゾルデ。ところがそれは、愛の薬だったのです。
マルケ王の元へ嫁いだイゾルデでしたが、人目を盗んではトリスタンと逢瀬を
重ねる日々を送っていました。しかし、それがマルケ王に見つかり、家臣により
トリスタンは深手を負ってしまいます。
自分の城に戻ったトリスタンですが、昏睡状態が続いていました。従僕からの
呼び寄せでイゾルデがやっと到着した直後、トリスタンはイゾルデの腕の中で
息を引き取ります。
二人を許すために後を追ってきたマルケ王の一行を、襲撃だと思ったトリスタン
の従僕は、戦いを挑みマルケ王の家臣と刺し違えます。
そして、悲しみに暮れる中、イゾルデはトリスタンの亡骸に寄り添って息絶える
のです。
このように、浮気をテーマにした作品の中には、浮気を美しく描いているものが
数多くあります。
そして、人々は主人公に対して感情移入しやすいために、主人公の行動が少し
くらい間違っていても、悪いのはそれを阻止する人だと考えてしまいます。
更に、自分の浮気にも共通点を探し、正当化しようとするのです。
この物語は、時代が違えば純愛で終わった恋愛が、そうさせなかった障害の中で
はかなく悲しいものになっています。
重要なのは、それによって多くの犠牲を生んでいることです。
そういった点も見落とさずに物語を見ることができれば、やはり浮気は正しくない
という考え方がもっと定着するでしょう。
アンナ・カレーニナは、1877年に出版された、レフ・トルストイの小説です。
「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の
様を異にしているものだ。」という書き出しが有名です。
タイトルにもなっているアンナ・カレーニナは、高級官僚であるカレーニンの
妻であり、息子にも恵まれ、何不自由なく幸せに暮らしていました。
しかし、偶然出会った美少年ヴィロンスキーに心を奪われ、二人は恋に落ち
ます。
世間体を重んじたカレーニンはアンナに理解を示さず、より一層傷ついたアンナ
は家庭を捨てる道を選びます。
ヴィロンスキーとアンナに対する世間の風当たりは非常に強く、やがて二人の
子が産まれますが、アンナは精神的疲労により死の淵に立たされます。アンナ
には、夫と愛息子に対する罪悪感が常に押し寄せていたのです。
瀕死のアンナからの謝罪で、カレーニンは妻を憎んだことを悔やみ、許すこと
にしました。
その夫妻の様子を見たヴィロンスキーは、自分が周りの人を苦しめ、愛する
アンナにまで辛い思いをさせてしまったと知り、罪の意識に苛まれるのです。
これは、究極の愛のかたちと言われることがありますが、やはりこれも多くの
人々を傷つけていますし、せっかく許してもらえたアンナは、結局自ら命を
絶ってしまいます。
浮気とは、それほどまでに、周囲を巻き込んでしまうものなのです。
そして、誰も幸せになれないことがほとんでしょう。
アンナ・カレーニナの話で見れば、アンナが家庭を選んでいれば、ヴィロンスキー
とアンナは愛する人を失うことになりますが、カレーニンと息子は幸せに暮らす
ことができてたはずです。それは、アンナが常にヴィロンスキーのことを想って
いたとしても。
また、アンナのずるいところは、自殺をしてしまうところです。自分はそれ以上
苦しむことがなくなるだけ楽になれるかもしれませんが、残された人々は悲しみ
を抱き続けなくてはいけません。生きることが罪の償いになるのです。
自分のためだけでなく、周りの多くの人のためにも、正しい道を選びましょう。
『栗色のマッドレー』は、1971年に公開されたフランス映画です。
ミレーユ・ダルクの原作で、アラン・ドロンが主演しました。
ジュリアンとアガートは、強い愛の絆で固く結ばれていましたが、
ジュリアンは夜な夜な、キャデラックを乗り回して遊び、プレイ
ボーイ振りを発揮していました。
しかし、アガートは責めるどころか、浮気をすすめます。それは、
どれだけ浮気をしても、必ず自分の元へ帰ってくるという自信が
あったからです。
ある日、二人はナイトクラブでマッドレーという黒人女性に出会い
ます。マッドレーの自由奔放な現代人らしいところに魅せられた
二人は、邸宅へマッドレーを招待します。
やがて、ジュリアンはマッドレーと肉体関係をもち、それを知った
アガートは、今までの浮気と違うことを悟ります。アガートの思った
通り、マッドレーはジュリアンとアガートの中に入り込んできました。
初めは三人でうまくやっていこうと試みたアガートも、ついに耐え
切れなくなり姿を消します。そしてアガートへの想いを引きずった
ジュリアンに耐えられないマッドレーもまた姿を消します。
ジュリアンはアガートを探し、ジュリアンへの想いを募らせていた
アガートと再会、元通りの二人だけの生活を始めました。
しかし、マッドレーのいない空虚感を感じるのです。
やがて、再びマッドレーが二人の生活に入り込んできます。
そして、三人は固い絆で結ばれながら幸福な生活を送っていきます。
浮気から生じた熱い絆の物語で、浮気を題材にした作品の中でも、
浮気から友情が生まれる珍しい内容と言えるでしょう。
浮気に対して寛容だったアガートは、浮気によって彼を奪われて
しまいます。自分の元へ戻ってくるという確固たる自信には根拠
がなく、人の気持ちはどう動くか分からないものなのです。
ジュリアンがアガートを想う気持ち、アガートがジュリアンを想う
気持ちはこんなにも強いのに、二人だけでは何かが足りないと感じて
しまうのは、人は愛だけに生きられないからなのかもしれません。
『暗夜行路』は日本の小説家である志賀直哉の代表作で、彼の唯一の
長編小説であり、また日本近代文学を代表する作品の一つでもあります。
時任謙作は、祖父と母との過失によって、この世に生を受けました。謙作は
自意識が強く、それ故に自己嫌悪を感じることもあり、精神的に不安定な部分
がありました。
孤独感を感じたり、不安を募らせる日々を過ごして謙作は、出生の秘密を知り、
また落ち込むのです。
やがてそれを克服し、直子という女性と幸福な結婚をしますが、二人の間に
できた子供はすぐに死んでしまい、自分は呪われているのではないかと感じます。
謙作が留守中に、妻が従兄と過失を犯したことを知り、それを許そうとしながら
許すことができずに苦しみ、鳥取県の大山に向かいます。
そこで一夏を過ごすうちに自然と調和する広い心境に達しますが、病気になって
しまいます。
謙作は、枕もとに駆けつけた直子を許すことにします。そして、直子も
「とにかく、自分はこの人を離れず、どこまでもこの人について行くのだ」と
心に期するのです。
祖父と母の過ちによって生まれた謙作は、妻である直子の過ちに苦しみます。
ひどく落ち込み、許すことのできない自分を責めながらも、最後には二人の愛が
より強まるという内容です。
浮気をされれば傷つき、滅入り、許すことができなくて当然ですが、そこで広い
心を持てれば、その先には本当の愛があるかもしれません。
浮気した相手を愛する気持ちが残っているなら、一度は許すことも必要なのでは
ないでしょうか。
時に、浮気は愛を強固なものへと変えていきます。
しかし、それは良かった場合の話で、そうでないことの方が多いのが現実ですから、
決して浮気をすることで愛情が深まるなどと勘違いしないようにして下さい。